先日、買ったばかりの自転車を
何か踏んでパンクさせてしまいました。
仕方なくちょっと遠い自転車屋まで
引きずって歩いたんですが
そのせいで

膝が逝った。
もう3~4日経つんですが
未だに膝が死んでます。
完全に息の根を止めてしまったかもしれん。
と、50代前半にして
自分の肉体の老いを日々
痛感している訳ですが
それに伴ってモノに対する考え方も
若い頃とは変わってきています。
その中でも特に変わったのが
思い出品についての考え方。
元から思い出のモノは
割と捨てられる方ではあるんですが
歳と共に自分の過去のモノは
全捨てを前提に
考えるようになりました。
だってさ、思い出のモノなんて
他人から見たら
ただのゴミやん。
例え身内だって
親の学生時代のテストとか賞状とか
死んだあとに山ほど出てこられても
困るだけじゃね??
せいぜい若い頃の写真が
1~2枚あれば十分だろ。
そう考えると
自分にとって思い入れの強いモノは
自分がいなくなったらただのガラクタ。
生きてるうちに
見返せる分量を持つようにしたいです。
そんな訳で私が現在持っている
自分の思い出のモノは以下。
卒業アルバム(小・高)

中学と専門の卒アルは捨てましたが
小学校と高校は
今も付き合ってる友達が多いので
友人の過去見たさに残してあります。
写真

ちょいちょい捨ててるんですが
元の量が膨大なのでこの分量。
自分が参加したCD

今までに参加したバンドのCD。
ポスターとかビデオ
雑誌なんかは全捨てしたけど
CDだけは残してます。
その他色々

中学の時の担任からもらった手紙とか
スケジュール帳とか通知表とか。
通知表は
娘に見たいと言われることがあるので
取っておいてるだけですが。
と、以上が私の約半世紀の
歴史遺産となっております。
かつては自作の漫画とかポエムと言った
黒歴史遺産も数々取ってありましたが
すべて捨てたので
いつ死んでもいいラインナップ。
しかしながら、これだけ減らしても尚
見返すと不要なものって
まだまだあるんですよね。
まずはこれ。

楽譜です。
※余韻の字間違っとるしな

いやどこが!?
と思われるかもしれませんが
実は私、長年音楽をやっていながら
楽譜が読めないのよ。
なので新曲が出来ると
曲の構成とかフレーズを
自分で開発した楽譜に
したためて覚えていました。(呪文)

そしてこちらは写真を整理してて
いらないと判断したやつ。
てか風景写真ってまだ
当時の街並みとか写ってて
懐かしみがあるけど
空の写真は
ガチでいらんなと思った。
旅先の空の写真とか何枚かありましたが
どこで撮ってもいつ撮っても
空は空なのよ。
そして左にチラッと写ってますが
1994年のアドレス帳
が取ってあってワロタ。
市内局番
3桁じゃないやろな??
(1988年まで東京の市内局番は3桁)
ということで、これらを処分し
また少しだけ減った
マイ歴史遺産。
未来ある娘のモノはともかく
老い先短い自分のモノは
徐々に減らして行きたいところです。
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